
阪神淡路大震災から23年。
兵庫県伊丹市出身の私は、ドーンという地鳴りと、かなりの揺れを経験しました。
中はメチャクチャでも倒壊した家は近所にはなく、死傷者も少ない地域でしたが、駅が壊れてしまったり、高速道路が倒れたのも、自転車で行ける距離。
数年は、ちょっとの揺れにも心臓が高鳴りました。
亡くなられた御霊と、もっともっと体験な経験をされた方々のお心が癒されるよう祈るばかりです。
今日という日は、あの頃を思い出さずにはいられない日。
私は自分のことを語るのが好きではないのですが、私の経験を語ってもいいように感じて、フラワーエッセンスとの出会いを長々と綴ってみたいと思います。
なんで生きてるのかな、、と思っていたころ

何故だか、苦労したことないお嬢様のように思われることが多い私なのですが、実はとっても苦労人なんです~。
震災の半年ほど前に父が倒れ、21歳で一家の大黒柱となった私。
大変だったことに拍車がかかったのが、あの震災でした。
当時はいろいろなことがあり過ぎて、この場で語りつくせはしませんが
自分の想いが現象になるのだと分かっている今は、自分が招いてたんだ、本当にそうだな~と思う出来事もたくさんあります。
いろいろ書いていくと思いますが、自分の不幸物語を書きたいのではなく、いろんな経験を経てきたからこそ今があると思っているし、今の自分の選択することに、当時の悔しさが活かされてるんだな、と気付くことも最近あったので書こうと思った次第です。
(こういうことって、後になって謙虚に当時を振り返ってみないと分からないことだと思うので、誰かの気付きになればと)
それで今日は、震災で一番傷ついたというか、腹が立ったことを語りたいと思います。
「そんなんは貧乏人が悪い」で終わりの市民相談
震災から数か月後、住んでいた賃貸住宅の持ち主が、新しくご家族の家をたてようと建設の補助金目当てに「家を出ていけ」と言われました。
父が入院していて母は病院で付きっ切り、若干21歳の私は、中学生の弟を抱えてどうしたらいいのか全く分かりませんでした。
引っ越しするお金なんてないし、毎日が不安で生きてるのが精いっぱいという日々。
家主側は、住んでても構わないから潰してしまえと土木屋さんに依頼したのです。
そんなこと出来ないし、市の相談所に行ってみたら?と、まだ若い私を見て、その土木屋さんが親切に教えてくださいました。
市役所に行って順番を待って、目の前に座った弁護士さんに簡単に状況を話すと
「そんなんは貧乏人が悪い」だけで終わりでした。。
「何が相談やねん!!」市や行政とか国は、困ってる人のことなんて考えてないんだな、と知ったのもその頃でした。
(真面目にお仕事をされている方もいらっしゃるのは知っています)
その少し後、父の奥さん(私の両親は結婚していませんでした)が亡くなり、その家に越すことが出来て、とりあえず住むところは確保できたのでした。
私がフラワーエッセンスに出会うまで、その1おしまい。
いつものごとく、のんびりペースになると思いますが、ご興味があればお付き合いいただければと思います。
ひとこと。。怒りってネガティブなイメージがありますが、
怒りのエネルギーを自分の原動力にするのはいいと思うんです。人のせいにしたり、周りに撒き散らかさなければ。
昨年末に転居しましたが、その時の気持ちが私が住宅を選ぶ基準になってたんだ、と気付いたんです^^